2013年10月28日月曜日

【思い出の選手列伝】佐川潔(巨人)

思い出の選手列伝は、自分の中の思い出の選手を挙げて行くつもりのため、どうしても阪神と西武の選手が多くなると思うのですが、他球団の選手で誰かいないかなぁ、と昔の一人遊びを思い出して出てきたのがこの人。

佐川潔
1970年5月19日  右投右打
金足農業→'88巨人(D3位)→'93オリックス→'94日本ハム→'95引退

89年のプロ野球選手名鑑でエクスパンションドラフト遊びをしていた頃、1ページに2分割や4分割で大きく掲載しれている選手は指名してはいけないルールで、後ろの9分割ぐらいになっている選手紹介ページの中から選手をチョイスしてチームを作って遊んでいました。

その当時、巨人にMAX147km右腕が入団してきて、エクスパンションドラフト遊びでは格好の指名選手になりました。それが佐川潔投手。

金足農業からドラフト3位で入団した右腕で、現在のスピードの出やすいスピードガンではなく、江川投手でも常時145kmとかだった時代なので、147kmというのは非常に魅力的でした。

絶対に将来、巨人のストッパーにのると、小学生ながらに目していたのですが、残念ながら、超ノーコンだったようで、ファームの通算49イニングで70四死球というプロではおおよそ考えられない数字が残っています。

それでも、4シーズンで戦力外になるも、やはりスピードが魅力的だったのか、オリックス、日ハムと渡り歩いて95年に引退。

残念ながら1軍登板はありませんでした。

1軍登板はなかったので、投げている姿は一つも見たことがありませんが、MAX147kmという魅力は今でも記憶しているほど鮮烈なイメージでした。

余談ですが、この頃、金足農業高校が甲子園で活躍しはじめて、滋賀の当時弱小だった八日市南という農業高校の顧問の先生が金足農業の監督さんに、農業高校で野球を強くする秘訣を聞きに行かれた話が頭に残っています。

その後、八日市南は地元の硬式野球チーム近江ボーイズからの生徒獲得などで一時は県大会のベスト4ぐらいまで進出するなど、90年代には少し結果を出し始め、その頃の金足農業の監督さんに聞きに行かれた努力が実ったんだなぁ、と嬉しくなった記憶があります。

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